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横須賀製鉄所物語

鍬入れ式から150年その2

横須賀製鉄所物語<15>

横須賀製鉄所の建設工事着工は、ドライドック、工場建物等の建設用地の造成から始まりました。工事の概要は、『横須賀造船史』の慶応元年紀によると、横須賀湾の内浦と白仙に跨る山地立坪約11万坪強の山地を切り崩し、その土砂を以て内浦・白仙及び三賀保の三湾を埋め立てるとともに隣接する沿岸の畑にも盛土をして、満潮時において海面よりも平均三尺(約91センチメートル)の土地造成を目標としていまし
た。

こうした大規模な土地造成を経て、具体的な施設の建設が進められることになりました。山地を切り崩す中、切土した土砂に混じって今まで見たことのないような珍しい獣骨の化石が発見されました。そして、『横須賀造船史』明治4年紀によれば「5月これより先白仙山の開墾の時に掘り出された珍しい獣骨を大学南校(現東京大学)の要求に応じて提出された」とあります。

大学南校には、1875年(明治8)から1885年(明治18)の10年間、明治新政府の招聘によりドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが地質学教室の初代教授として日本に滞在していたので、この獣骨の化石を鑑定した結果、象の化石であること、そして今まで発見された象の化石に類似のものがないことなどから、この獣骨の化石に教授の名がつけられ「ナウマン象」と命名されました。

その後、横須賀市内において、「ナウマン象」の化石の発見は長井・大木根において3例あり、三浦半島周辺においても鎌倉市や横浜市においても発見されています。この横須賀製鉄所の工事で発見されたものが、日本における「ナウマン象」の最初の標本として位置づけられています。この「ナウマン象」は、約40万年前頃から日本列島に分布を広げ、その後2万年前頃に絶滅したと言われています。

そして、日本に生息した象類は、陸続きであった大陸からやってきたもので、その化石は北海道から九州まで全国的に発見されているもので、まさに横須賀製鉄所がその先駆けを努め、初の命名を受ける栄誉を得ることになり、産業の近代化に対しての役割を果たした施設が、考古学・地質学についても、新しい一歩を踏み出す機会を与えてくれました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)