小栗上野介忠順の菩提寺である東善寺(群馬県高崎市)の住職村上泰賢氏の『小栗上野介』忘れられた悲劇の幕臣によると「明治45年夏、東郷平八郎は小栗家の遺族小栗貞雄と息子又一(明治31年生)を自宅に招き[日本海海戦において完全な勝利を収めることが出来たのは、軍事上の勝因の第一に、小栗上野介殿が横須賀製鉄所を建設しておいてくれたことが、どれほど役立ったか計り知れまさん]と感謝の気持ちを表しました。
もう一つは[対馬沖などでの猛訓練のあと、艦船を横須賀や呉の造船所に入れてすぐに修理点検できたので、迅速に完全な整備を施して出発することが出来たこと。これはすべてドックがあったおかげでした]」と記されています。日本海海戦の勝利について、横須賀製鉄所がいかに大きな役割果たしたかわかりません。
この海戦で、日本がロシアのバルチック艦隊を殲滅するとは先進西欧諸国は思いもしませんでしたが、日本が勝利したことで欧米諸国から先進諸国の仲間入りを認められました。これを契機に徳川幕府が結んだ不平等条約(江戸条約)を解約するきっかけを作ることができました。
明治新政府が条約改正に向け必死になって取り組み、「鹿鳴館」まで作って日本の近代化をアピールして、条約改正を試みましたが憲法も制定されず、国会も成立していない国家を先進国とは認められず、空白の日々が続きましたがここに条約改正に至りました。
(元横須賀市助役 井上吉隆)