52年11ヵ月の間、都市政策を中心に横須賀市の発展に寄与され、最後の8年間は2期に亘り、横須賀市助役として活躍された井上吉隆氏に横須賀市の変遷やまちづくりのこぼれ話についてお話しを伺いました。
2015年5月9日(土)10日(日)の2日間に亘り、三笠公園において「よこすかカレーフェスティバル」が開催されました。マスコミの報道によれば約51,000人の入場者があり、全国最高の食のイベントとなりました。
この「カレーの街」横須賀のルーツは何処からなのでしょうか。横須賀に関連した書籍や雑誌を見ても、そのルーツには触れず、ただ、まちづくりに「海軍カレー」を利用しているとの記述がなされています。
このイベントは沢田市長が就任された時に、横須賀のまちづくりには(1)行ってみたい街、(2)住んでみたい街、(3)住んで誇れる街をとの方向性を職員に示されました。他都市から都市の魅力に惹かれて行ってみたい「横須賀市」をつくる、そして横須賀に行ってみたら大変暮らしやすそう、楽しそう、安全・安心の街、だから
住んでみたい。そして、横須賀に住んで、住むことに誇りを持てるようなまちづくりを進めようと、沢田市政がスタートしました。そうした中で、市外の人たちに如何にして横須賀に行こうと思わせるかを、いつも念頭に置きながら日常業務を処理しながら考えました。
すると、1998年12月に当時海上自衛隊横須賀地方総監の古澤さんが退任されるので、田戸台庁舎で内輪のお別れパーテーが開催されお招きを受け、いろいろな方々との交流が行われました。そこで、総監とのお話では「カレーライスの一般家庭に普及したのは旧海軍によるもので、旧海軍では毎週土曜日の昼食はカレーライスでした。その伝統が海上自衛隊にも引き継がれてきましたが(週休2日制になってからは毎週金曜日の昼食に変更)、こうした伝統は艦上勤務者が長期の航海に出ると曜日の感覚がなくなること、そして栄養のバランスを取るために定期的にカレーの献立が提供されることになり、海軍カレーのレシピも『明治41年海軍割烹参考書』として残されています。このレシピに従って調理されそれぞれの施設・艦艇では独特の工夫により隠し味がなされています。
旧海軍軍人が兵役の満期などにより故郷に帰り、家庭料理として広げたのが全国的に普及したものと言われています。現在、呉市と舞鶴市では「肉じゃが」で街おこしを勧めているので、横須賀市では「海軍カレー」で街おこしを勧められたら如何でしょうか」とのお話をいただいたので、沢田市長・小沢商工会議所会頭も出席されていた
ので、横須賀の街おこしに「海軍カレー」と相談すると、実現できるものであるならばとのことになり、翌日観光課長に商工会議所と協議して実現可能性の検討を指示しました。
この協議も海上自衛隊のアドバイスもあり「カレーの街横須賀」のスタートを切ることになりました。
(元横須賀市助役 井上吉隆)