「海軍カレーの街よこすか」宣言をしたのは、海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎(以下「分庁舎」と略す)でマスコミを前に実施しました。分庁舎とはどんな施設でしょうか。私が子供の頃には「長官官舎」と呼ばれなかなか近づき難い施設でした。
分庁舎は『新横須賀市史』によりますと、建坪560平方メートルで大正2年建設の和館と洋館が併設する和洋折衷住宅です。建物の企画設計を担当したのは旧呉市長官官舎を設計した海軍技師桜井小太郎で、ロンドン大学で学び日本人初の英国公認建築士の称号を得た人であると、横須賀地方総監部発行のパンフレット『田戸台分庁舎』で紹介されています。また、パンフレットによれば建物は木造平屋建て、亜鉛葺切妻屋根、イギリス住宅の特徴であるハーフティンバー(柱をそのまま見せて、その間の壁を漆喰等で埋めたもの)を基本にした建物で現在は煉瓦タイル張りになっていますが、もとは下見板張りでした。もっとも美しく特徴的なのは庭園に面したベランダ側で、その景観は素晴らしいものです。和風館部分は二階建てで、階下には二間の和室を備えていて、いずれも簡素で機能的に作られています。
分庁舎は、桜の開花に合わせ一般公開されていますので、是非素晴らしい施設を見学したいものです。
現在所在している旧長官官舎は、『建築保全』第42号によると、横須賀市の他に呉市・舞鶴市だけです。佐世保市のものは昭和20年の空襲で消失しました。呉市のものは明治22年軍政会議所として建設され、明治38年の芸予地震により倒壊し、再建されたものが長官官舎となり戦後「入船山記念館」として公開されています。舞鶴市のものは、地元では「旧東郷平八郎邸」と呼ばれ、明治34年木造平屋建ての質素なものです。アメリカ海軍のニミッツ提督は東郷元帥を尊敬し、昭和51年アメリカ建国200年祭の一環として、生地のテキサス州に「ニミッツ提督記念センター」が新築された際、元帥の強い希望でこの東郷邸の書斎と庭園をそっくり模して造ったと言われています。また、元帥は戦後来日した折に「記念館三笠」を訪れ、甲板上の構造物が取り払われ荒廃した姿を見て、『文藝春秋』に一文を寄せ記念艦の復興されることを願い、原稿料をその基金に寄付するとともに大いなる協力がなされ、「三笠保存会」の設立へと繋がり、記念艦も現在の姿に復元されました。
(元横須賀市助役 井上吉隆)