近代の横須賀といえば「海軍」。その教育機関の一つの海軍機関学校は、前身の海軍兵学寮分校が明治7 年(1874年)に横須賀に設置され、名称変更や廃止、再開などを経て、関東大震災のため江田島に移転する大正12年(1923年)まで当地にありました。この横須賀時代、芥川龍之介が大正5年から8 年まで英語教官を勤め、横須賀線が舞台となる「蜜柑」を書いたことは有名ですが、彼の友人で小説家、随筆家内田百閒もドイツ語教官として、また、芥川とともに第3次「新思潮」の同人となり、『ジャン・クリストフ』『レ・ミゼラブル』などの翻訳で知られる豊島与志雄もフランス語教官として、教鞭を取っていました。
(洗足学園中学高校教師 中島正二)