外国人専用のホテルの建設には、小栗上野介と同様に徳川幕府内でも早急に建設をしなければとの考えが出ていました。それは外国からの強い要望でした。徳川幕府が条約を結んだ欧米諸国から江戸開市を速やかに行うように迫られました。その内容としては、外国公使館をはじめとして、商社、教会、学校などが収容できる外国人居留地の開設、それに併せて外国人専用のホテルの建設要望が強く出されました。当時江戸では、世界でも有数の大都市でありながら、都市型ホテルと呼ばれるものが全くなく、欧米諸国は大変強い問題意識を持っていました。特にイギリス公使は「居留地開設にあたっては、同時に是非とも西洋式のホテルを用意してもらいたい。これは日本と条約を結んでいる諸外国の政府関係者、商社、さまざまな分野の技術者たちがたくさんやってくる。彼等は日本国の発展に必ず役立つ。ところが、彼等の用に足るようなホテルが江戸には全く見られない。宿泊施設がなければ、今後の居留地の運営に差し支える。なんとしても早急にホテルを建設してもらいたい」と幕府に強く迫りました。
一方、海外ではホテルはいつ頃に建設されていたのでしょうか。アメリカの例では、ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任した10年後の1799年(寛政11年)には早くも73室の大型のシティホテルがニューヨークで開業することになりました。このホテルは政府が建設したものではなく、株式会社組織によって建設され、運営も行われた最初のホテルとされています。更に1829年(文政12年)には、現在の都市型ホテルの雛形となるアメリカで初めての本格的なホテルであるトレモントハウス170室がボストンに建設されました。そして、その内容は全室が個室で、ドアーには鍵がつき、室内には洗面台が設置されていました。当時の新興国のアメリカでこのような状況ですから、ヨーロッパのイギリス、フランスのような歴史的に由緒ある都市ではさらに進んだホテルがアメリカ以前に建設されていたものと思われます。そして、諸外国ではホテルは単に旅人の宿ではなく、社交の場として利用され政治、経済活動など重要な役割を担っていました。小栗上野介はアメリカ滞在中にそれを肌で感じ、ホテル建設の必要性と早期の実現に向けて、自らを奮い立たせていたものと思われます。
(以下、築地ホテルについて、永宮和「『築地ホテル館』物語」を参考にさせていただきます。)
(元横須賀市助役 井上吉隆)