> 新よこすか風土記 > よこすか文学館 > よこすか文学館<98>

Story新よこすか風土記

よこすか文学館

与謝野夫妻の文学碑

よこすか文学館<98>

三浦半島に点在する文学碑や史的記念碑を実見し、作者やその作品の成立事情、碑の現状などについてご紹介します。

<与謝野夫妻の文学碑(愛宕山公園)>短歌

黒ふね船を怖れし夜などなきごとし
浦賀に見るはすべて黒船 寛

春寒し造船所こそ悲しけれ
浦賀の町に黒き鞘懸く 昌子

与謝野寛(1873~1935)は、明治33年に『明星』を創刊し、短歌の改革運動を牽引しました。寛の文芸活動に共感した晶子(1878~1942)と結婚し、二人は協働して文芸活動に邁進しました。

歌碑は、昭和10年(1935)3月に、横須賀を訪れた夫妻が門人たちとともに吟行をした時の、浦賀造船所を詠んだもの。寛は、幕末に人々を畏怖させた黒船が、今や日本で造られている感慨を詠み、晶子は、造船所の煙や艦船を「黒き鞘(さや)」にたとえ、モノクロ映画のようなイメージで浦賀の町の悲哀感を詠みました。この横須賀訪問の直後、寛は風邪をこじらせ、3月26日肺炎で死去しました。

なお、「与謝野鉄幹」と紹介されることもありますが、明治38年5月発刊の『明星』から、「鉄幹」という号を止めて「寛」で活動しましたので、歌碑の署名は「寛」なのです。

(洗足学園中学高等学校教諭 中島正二)