> 新よこすか風土記 > 横須賀ストーリーズ > 横須賀ストーリーズ<12>

Story新よこすか風土記

横須賀ストーリーズ

横浜市との境界問題

横須賀ストーリーズ<12>

追浜の夏島に横浜市と境界問題が昭和34年(1959年)に発生しました。

旧軍が埋め立てた土地に日産自動車が追浜工場の進出を計画していたところ、8月14日に横浜市から大蔵省に対して工場進出の留保の申し立てが行われました。その理由として進出する地域の土地の帰属が未確定であるとのことでした。

その埋立地は、明治時代から海軍航空隊が夏島の小高い山を削り埋め立てられたもので、第二次世界大戦後、米軍に接収され解除された後に日産自動車の追浜工場とこの埋立地は旧軍により456,720坪埋め立てられ、その内の264,889坪が横須賀市に編入されてました。残りの191,831坪は手続きがされないままでした。しかし、大蔵省の国有財産台帳には全て横須賀市域と記載されていました。

横浜市の主張は埋立地の内253,950坪は、横須賀市と横浜市の境を流れる川の水脈(みお)であるとの主張でした。しかし、埋め立てについての法律では埋め立てをする地域に隣接する自治体に諮問して実施するもので、全て横須賀市に諮問していたのです。昭和34年10月18日神奈川県立ち会いの下で横須賀市と横浜市で「協定書」が結ばれました。

1、未編入地は一応横須賀市に編入する。
2、埋立地が野島(横浜市)と一体の様相を示した時に420,000坪を横浜市に編入する。

以上の内容でした。

そして、昭和59年(1984年)に横浜市から神奈川県に要請して最終案が示されました。それは横浜市側から国道357号の延伸について、横須賀市側の理解と協力を求めるものでした。そして、横浜市は土地の権利は放棄して国道357号を横須賀市に受け入れて貰うことでした。横須賀市は357号の延伸に伴う混雑解消のため神奈川県に対して、「本町山中線」の建設を強く要請しました。神奈川県も横須賀市の要請に理解を示して、神奈川県の道路公社により建設することとなりました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)