三浦半島に点在する文学碑や史的記念碑を実見し、作者やその作品の成立事情、碑の現状などについてご紹介します。
<芥川龍之介文学碑(吉倉公園)>小説
蜜柑
或曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。(中略)
するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。
芥川龍之介
芥川龍之介(1892-1927)は東京生まれ。東京府立第三中学校(現都立両国高校)を卒業し、成績優秀のため、無試験で第一高等学校文科に入学。大正2年(1913)、東京帝国文科大学英文科に入学します。在学中の大正5年(1916)、『新思潮』(第四次)創刊号に発表した「鼻」が夏目漱石の激賞を受けたことはあまりにも有名です。この年、芥川は東京帝国文科大学英文科を卒業し、横須賀の海軍機関学校の嘱託教官となり、鎌倉に下宿しました。「蜜柑」は、この教官時代に芥川が利用した横須賀発の上り列車が舞台となっている小説です。なお、大正8年に文芸誌『新潮』に発表されたときは、「私の出遇った事」という総題による2編の小説のうちの1作という形でしたが、後に単行本に収録される際、独立した作品となりました。
(洗足学園中学高等学校教諭 中島正二)