戦後、軍港都市から米軍基地の街に変化した横須賀が、旧軍施設を転用、活用し、米軍基地の一部返還を経ながら、中心市街地の再整備、その後のYRP、湘南国際村の建設、県立大学の誘致などと発展してきた流れを政策側として企画・実行してきた立場で語る「郷土横須賀の歴史―横須賀の街はこうして創られた」という講座が横須賀市生涯学習センター(まなびかん)で開催されました。
講師は、52年11ヶ月の間、都市政策を中心に横須賀市の発展に寄与され、最後の8年間は2期に亘り、横須賀市助役として活躍された井上吉隆様です。(「すまい造りメール」の「横須賀製鉄所物語」を寄稿していただいています。)
11月2日から12月7日までの毎週月曜日の全6回に亘り、「横須賀製鉄所の事績」「第二次世界大戦後の転換計画」「横須賀市と横浜市の境界問題・昭和49年災害と湘南国際村」「汐入地区の再整備」「本町臨海部再開発とEMクラブ再開発」「YRP・県立大学誘致」というテーマでご講演されました。
残念ながら、聴講できたのは最終日だけでしたが、60名を超える熱心な受講者の「わが街よこすか」に対する関心の高さに驚きを感じながら話しを伺いました。全6回のうち1回しか聴講していませんが、僭越ながら、感想を書かせていただきます。
「横須賀の街づくり」が机上のプランの段階から実際に形になるまでの関係施設への交渉の経緯や、「ここまで話していいの?」と思えるようなエピソードを交えた貴重なお話しでした。初期段階から携わってきたらこそ発せられる言葉で臨場感と説得力がありました。経済を優先するか、組織のメンツを立てるかなど、なにか人間臭い、まちづくりには常に問題となるエピソードもあり、私を含め、受講者がだんだんと身を乗り出していくのが良くわかりました。
確かな記憶に基づいたそれぞれのプロジェクトの経緯と豊富な情報がまとまった資料は読みやすく素晴らしいの一語です。「よこすか愛」に満ち溢れた、本当の横須賀の歴史の話しは次の世代へと繋いでいかなければならないとつくづく感じました。
そして、全6回を締めくくる最後の言葉として、「学ぶ」ということの大切さを佐藤一斎の三学戒『言志晩録』第60条に代えて、受講者に話されました。
「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。」
この「まなびかん」での講座の意義と後進に継承するという使命感を含んだ、とても印象深い言葉になりました。ありがとうございました。
この講座の依頼を受けたときから皆様の前で話すのは最後と心に決めて取り組まれていたそうで、井上様の挨拶の後に司会者から贈られた温かい言葉と受講者の感謝の気持ちが表れた大きな拍手によって、さらに感動的なフィナーレとなりました。