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伊能忠敬

千葉県香取市佐原は、江戸時代には水運を利用して「江戸まさり」と呼ばれるほど商家を中心に栄えていました。今でも「水の郷さわら」として、歴史的な街並みが利根川に注ぐ小野川沿いに残されています。

それらの商家の中に伊能家がありました。17歳で婿養子に入った忠敬は、老舗の伊能家で商才を発揮し、様々な改革を推し進め、信頼と実績を積んで村を代表する名主になり活躍し、1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した天明の大飢饉では私財を投げうってまで村のために尽くし、一人の餓死者を出さなかったと言われています。

そして、49歳の時に家督を長男に譲り、50歳を過ぎてから幼いころから興味のあった天文と測量を本格的に学び、日本で初めて精巧な日本地図を実測で作成しました。

長男に家督を譲った時の家訓が伊能家の佐原旧宅の中庭に石碑となって残されています。

 

第一 假にも偽りをせ須、孝弟忠信にし天、正直たるべし

(少しも嘘をつかず、親には孝行、兄弟仲良く、人には真心を尽くし、正直にしなさい)

第二 身の上の人ハ勿論、身下の人に天も、教訓異見あらハ急度、相用、堅く守るべし

(誰に対しても役に立つことや正しい意見であったら、取り入れるようにしなさい)

第三 篤敬謙譲と天、言語進退を寛裕ニ諸事謙り敬ミ、少も人と争論など成すべから須

(言動を穏やかに、すべてに関して謙り、謹んで、少しの争論もしてはならない)

亥 九月廿一日

(寛政3年〈1791年〉 9月21日)

(参考資料「伊能忠敬記念館資料」「生涯学習の先駆者伊能忠敬に学ぶ探求心」)