福島県に生まれた野口清作は、幼いころに火傷を負い、その後知り合いの援助で受けた手術を経験したことから、医学の道を志すようになりました。ナポレオンの伝記を読み、その生き方を信奉しながら、上京し、済生学舎に学び、医師免許を取り、北里柴三郎の伝染病研究所の助手補になり、自分の描く立身出世の階段を一つ一つ上っていきました。
そのころ、坪内逍遥が書いた小説「一読三歎当世書生気質(いちどくさんたんとうせいしょせいかたぎ)」が話題になっていました。それまでの勧善懲悪を否定した、当時の学生風俗を写実的に描いたもので、その中の登場人物の一人に、野々口精作という医学生がいました。優秀な学生でありながら酒と女におぼれて堕落していく青年の姿が描かれていました。
この小説を読んだ野口清作は改名を決意します。あまりにも自分と共通点が多く、モデルとして描かれたと世間の人に思われることを嫌ったのではとも言われています。当時改名することはかなり大変だったようですが、その煩わしい手間をかけてまでも改名をしたことに相当な執着を感じます。
新しい名前は、「英雄」と「世界」という将来の目標を掲げる言葉から、「英世」と自ら名付けました。野口英世の誕生です。
現在「千円札の顔」となっていますが、お札の裏から透かして見ると、「もう一つの顔」が浮かんくるかもしれません。
(参考資料「コンセント抜いたか(嵐山光三郎)」)