追浜の海岸沿いを埋め立てた工業地帯の先端に大きな2つのクレーン、ゴライアスクレーンがあります。ゴライアスクレーンは、その風貌から造船所のシンボル的な存在です。
住友重機械工業㈱追浜造船所は、昭和47年(1972年)12月に船舶造修、橋梁、鉄構工事に進出し、その後、2003年に住友重機械マリンエンジニアリングに分社化され、10トン級タンカーの建造を続けてきました。その間。1973年のオイルショックや2008年のリーマン・ショックを契機に造船事業を取り巻く環境が変化し、体制の見直しを図ってきましたが、2024年からは新規受注を中止し、造船事業から撤退することが発表されました。2026年1月の引き渡しが建造最終船となるようです。
今後も米海軍横須賀基地の艦艇などの修理事業は従来通り継続し、洋上風力発電の基礎構造物の事業化に取り組み、土地の一部は住友建機が工場を建設して油圧ショベルの製造に活用するようです。
横須賀開国史研究会の山本詔一会長は「横須賀は、ペリーが来航した翌年の1854年に日本初の大型洋式軍艦『鳳凰丸』が建造された地でもあって残念。造船の痕跡を後世に伝える運動に取り組みたい」と話されています。
(参考資料 「読売新聞」ほか)