> ブログ > ノンカテ > 新紙幣の偉人たち<4>

Blogブログ

ノンカテ

新紙幣の偉人たち<4>

2024年7月3日に、1万円、5千円、千円の3券種が改刷されました。新紙幣発行後も現在使用されている紙幣はこれまで通り使用可能です。紙幣の交換を促すような電話やメールにご注意ください。

新しい千円札の肖像となった北里柴三郎は、1852年、肥後熊本の庄屋の子として生まれ、成績優秀で、藩校時習館から東京医学校(東京大学医学部の前進)に学びました。その後内務省に入り、ドイツへ国費で留学しました。そこで、細菌学の世界的権威コッホに学び、破傷風菌を人工培養し発症させると、免疫が生じることを発見しました。この免疫を使って治療に応用したのが血清治療です。この研究は、第1回ノーベル賞を獲得した大発見でしたが、一緒に研究を行っていたドイツ人のベーリングだけがノーベル賞を受賞し、北里柴三郎は受賞できませんでした。明治維新になって初めて西洋医学を学んだ日本人がそんな偉大な発見をするわけがないという偏見があったためと言われています。

帰国後、慶應義塾大学を創設した福沢諭吉の支援で、慶応義塾大学横の三田、芝公園に土地と建物を譲り受け、伝染病研究所を設立しました。所長の北里柴三郎の下、赤痢菌を発見した志賀潔や黄熱病の研究で知られる細菌学者の野口英世など優れた人材を輩出しました。

野口英世は、英語が堪能だったため、研究所では研究者というより通訳として北里柴三郎に仕えていました。その後、アメリカに渡り、黄熱病の研究で一躍世界的に有名になり、さらに、アフリカのガーナに渡り研究に励みましたが、自ら黄熱病にかかり亡くなってしまいました。

北里柴三郎は、当時江戸時代以来の医師の組織からバッシングを受けるなど、なかなか日の目を浴びませんでしたが、お世話になった福沢諭吉のために、慶応義塾大学に医学部を設立しました。現在は、白金台の東京大学医科学研究所と聖心女子学院の丘の下に、北里大学医学部・薬学部があります。

北里柴三郎は、「細菌学の父」であるばかりか、まさに日本の近代医学の礎を築き上げた偉人です。そんな北里柴三郎より、弟子である野口英世が先に日本の紙幣になりました。

日本の近代医学に大きな足跡を残した二人の活躍はプライスレスです。「お金で買えない価値がある」

(参考資料「東京都北区立堀船中学校~校長室から」「国立印刷局~新しい日本銀行券特設サイト」)