1997年(平成9年)は小栗上野介が群馬県倉渕村(現在高崎市)の烏川河畔で斬首されて130回忌にあたることと、倉渕村に市民休養村「はまゆう山荘」創立10周年を迎えるので、横須賀市・倉渕村(現在高崎市)・はまゆう山荘の三者により、7月5日「小栗上野介トーク&ウォーク」が「はまゆう山荘」を中心に実施された。
シンポジーム参加の前に、小栗上野介の墓前にお参りするため菩提寺の東善寺を訪問し、墓前に線香を手向けその後住職に本堂に案内されると、長押には大島昌宏さんの『罪なくして斬らる』の中で、日本海海戦後に小栗上野介の遺族が東郷平八郎邸に招かれ、小栗上野介がいかに偉大な人物であったか、そして、国賊と言われて罪なく斬首されたことについてお詫びをし、東郷平八郎は仁、義、礼、智、信の書をしたため遺族に送られた、その書が扁額としてかかげられている。
村上住職から「小栗上野介の曾孫忠人氏より130回忌に当たり寄進されたものです。」と説明があった。その扁額を目にした時には、背筋が震え感動が走った。東郷平八郎の書は海上自衛隊田戸台庁舎や料亭「小松」で何度も目にしたことがあるが、いわれのある書の前では何とも言えぬおもいがよぎった。その後、住職もシンポジュウムのパネラーとして参加されるので、一緒に「はまゆう山荘」に向かうと群馬県知事の小寺氏も「今日はプライベートで参加しました」とラフなスタイルで椅子についていられた。また遺族の小栗三沙さんも参加されている。
シンポジュウムでは、中学校や高等学校の日本史教科書には、小栗上野介により立ち上げられた「横須賀製鉄所」について記述されていないが、近代日本の成立に大きな役割を果たしたことがパネラーから熱く語られた。
横須賀製鉄所は、明治新政府の殖産興業・富国強兵のために設立した官業についても大きな役割を果たし、横須賀製鉄所抜きにして語れない面が非常に多いところである。
(元横須賀市助役 井上吉隆)