「横須賀開国史研究会」は、明治時代に発行された横須賀土産『横須賀造船所散歩』の復刻版を発行しました。この図面の発行により横須賀製鉄所(横須賀造船所)の全容と、周辺の地域を知る事が出来る大変貴重なものです。
明治新政府にとっては、軍事上の重要な施設なので見学は許されないが、一方では国民に対して産業の近代化をPRするのには絶好のモデル工場なので、横須賀造船所が指定した案内業者や旅館が見学手続きをすることにより見学が許可されました。そこで、北関東や東北地方の人々が農閑期に大山詣り、夏の富士登山にあわせて多くの見物客が詰めかけ観光名所になったと言われています。その観光客のため、施設見学案内の横須賀土産として配布されたものと言われています。トヨタ自動車の創業者もこの造船所を見学したと旧関東自動車の社長からうかがったことがあります。
そして、この図面の右上の隅に「龍本寺」と並び「海軍病院」の表示がありますが、この病院は、横須賀鎮守府を始め多くの海軍施設が東京湾沿岸部に立地するとともに、浦賀(現住友重機械工業工場)には屯営もあり海軍病院の設置が必要とされ、明治9年に本格的な病院の建設に着手しました。そして、完成したこの病院は東洋一の病院との評価を得ました。しかし、関東大震災で被災し倒壊しましたが、そこで現地で復旧することなく楠ケ浦に新設することとして、大正15年に着工しました。
海軍病院跡地の深田には、神奈川県が県立の臨時救療院を建設しましたが、半年後には横須賀市に移譲し、横須賀市では既に坂本に市民病院を有していました。その後、移譲を受けた施設を市民病院として利用し、1929年(昭和4)には全面改築に着手しましたが、1962年(昭和37)に火災で全焼し、医師会などの要請により武山に再建することになりました。深田の跡地には、市制60周年記念事業として文化会館を建設し、文化振興のための拠点が整備されました。
(元横須賀市助役 井上吉隆)