「カレーの街」宣言、第一回のイベントの実施状況を見て、ある新聞社から夕刊に「地域通信」の欄を設定してあるので、カレーの街についての記事を掲載してみないかとの話があり「海軍カレーでまちおこし」のタイトルで寄稿させていだきました(1999年9月15日)。その記事の中で、私は海軍カレーとの出会いを1974年沼津市に水道水の災害給水訓練実施の際に、初めて経験したものだと記しました。
横須賀市と沼津市との間には、災害時に水道水の応援を行う協定が結ばれていて実施することになりました。当時私は災害時には救援物資班のサブリーダーでしたので、参加の要請が有り水道水とともに沼津市に行くことになりました。水道水の供給に当たっては、海上自衛隊の護衛艦で輸送することになり、給水車に走水の水道水を積載して護衛艦の係留してある田浦の埠頭で乗艦して沼津市に向かいました。城ヶ島沖あたりで夕食の時間となり、一同食堂に集合してカレーの夕食をいただきました。そして、その味に驚きました。なんと美味なるものか、自衛艦の中の食事なので空腹感を持たせないように、量だけを確保し味は二の次と失礼な想像をしていた自分の考えに大きなショックを与えました。なんとも食についての知識・知恵のなさに腹立たし
く思うと共に、同時に現在の災害対策用の備蓄食料は乾パンのみなので、なにか工夫する必要があるのではないか。また、このカレーがどこかで活かすことができないだろうかとも考えました。
こうした経験を「地域通信」の冒頭に記しました。そしてこの報道にはすぐに反応がありました、第一号が北海道から中学生の子供を持つ母親が、ロックバンドXジャパンのギタリストのhideのファンで、平成町の「hide museum」に行ったけれどもカレーのことは知らなかったので、今度行く時にはぜひ「海軍カレー」を食べてみようとの便りが秘書課に飛び込んできました。遥か彼方の地まで「海軍カレー」によるまちおこしが伝達されたものだと嬉しくなりました。
※「hide記念館」は2005年9月25日に閉館しました。
(元横須賀市助役 井上吉隆)