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横須賀製鉄所物語

ワシントン造船所記銘鈑

横須賀製鉄所物語<32>

昨年(平成28年)秋に偶然「小栗上野介顕彰会」が発行する機関誌『たつなみ』第41号(平成28年8月10日発行)を拝見することができました。

その機関誌の中にノンフィクション作家の柳原三佳氏の「ワシントンに『万延元年遣米使節記念銘鈑(記念碑)』建立」の記事が掲載されていました。そこには冒頭「幕末、日米通商条約の批准書交換のため、初めてアメリカに派遣された総勢77名の遣米使節団(筆者註 正使 新見豊前守 副使 村垣淡路守 目付 小栗上野介)このたび、彼らの功績を記念する銘鈑がワシントンDCの海軍工廠に設置され、2016年(平成28年)5月13日、日米の子孫や外交関係者など約100人が集まって除幕式と祝賀パーテーが開かれました。156年前、この地を踏んだ彼らは米国民の大歓迎をどんな思いで受け止め、初めて見るワシントンの街並みに何を感じたのでしょうか」と記されています。

この記念銘鈑が設置されたワシントン海軍工廠は、小栗上野介ほか一行が渡米した際に視察した場所であり、特に小栗上野介はこの工場で、いとも簡単に鉄が自由自在に加工されるのを見て、こうした工場を日本にも建設しなければ、ますます西欧諸国に後れを取ってしまうので、日本近代化のためにどうしても必要なものだとの認識を胸に帰国します。そして、勘定奉行に就任するや工場建設について上申し、それが受け入れられ横須賀製鉄所建設に至ります。

この記念すべき銘鈑は誰の手により建設されたのでしょうか。『たつなみ』によれば「遣米使節団の副使であった村垣淡路守範正の子孫で、ワシントンに在住する子孫の会会長の村垣孝氏には、今回まさに寝る間も惜しんで記念銘鈑の企画立案から建立、式典やパーテイーの準備までご尽力いただきました。元米国海軍所属の歴史学者エドワード・マロルダ教授も『村垣氏と出会い、親交を深める中で、遣米使節の存在を知り、彼の情熱に打たれた』と、挨拶されました」と記されています。この銘鈑は『たつなみ』によれば「御影石にはめられた青銅製の銘鈑には英文で『1860年5月14日、日本の使節たちが初めてワシントンの海軍工廠に到着したことを記念する』と刻まれています」と記されています。

こうした横須賀製鉄所建設に向けてのルーツとも言えるワシントン海軍工廠に、こうした記念すべき貴重な銘鈑が設置されていることをどれだけの人が知っているでしょうか。私も元気で機会があるうちに一度は訪れたい場所の一つです。

(元横須賀市助役 井上吉隆)