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横須賀製鉄所物語

ティボディエ副首長の官舎その2

横須賀製鉄所物語<33>

横須賀鎮守府編『横須賀造船史』に次のような記述があります。「明治2年3月10日寺嶋判事ハうゑるにーノ供伸二拠リテ佛国海軍大技士ちぼじー(後にティボディエに統一)ヲ製鉄所副所長年俸6,500ドル二雇入ルコト条約セリ。更に3月18日管轄廳うゑるにーノ歸省請願ヲ允許シテ往復四箇月佛国滞留六箇月ノ休暇ヲ與ヘ其不在中ハ副首長チボジーヲシテ其事務ヲ代理セシム(以下略)」と有り、ヴェルニーの代理を務めるような、重要な役割を担った副首長が赴任しました。

ティボディエはフランスの最高学府の一つであるエコールポリテクニックに優秀な成績で入学し、卒業後は同校出身の成績者が集う海軍造船学校に進学し首席で卒業しました。博物館の菊池学芸員も「フランス海軍の技術者としてトップの要職を歴任した人物」と評価しています。非常に優れた人材をフランス政府は日本に派遣しました。いかにフランス政府当局が横須賀製鉄所に力を注いでいたかが伺われます。

ティボディエの官舎は明治3年頃に完成されたものと考えられ、その建設に当たっての設計図書や入札記録が「堤家文書」として現存する大変貴重な資料であると言われています。その官舎は第二次世界大戦後に米海軍基地内に現存していたことも奇跡的でした。終戦後市役所に就職された先輩から「鎮守府裏には古い小さな資料室があって大隈重信の手紙などが展示されていたが、その後どうなったか」と話してくれたことが頭の片隅に残っていました。

横須賀基地司令官から、世界で優良基地4カ所の一つとして横須賀基地が選定されたので、その表彰の記念碑建設のため「古い倉庫の解体」の話が出され、事前調査のお願いをしました。司令官の好意で詳細な調査が実施され解体され、すべての資材を市で保存管理し、大きな歴史遺産を残すことができました。

この調査結果については、日本建築学会の公式見解の中でも、この官舎が明治3年頃に竣工したものと考えられ、その評価について国内における現在残されている西洋建築について考えると、九州地方に所在する鹿児島県の尚古集成館、長崎県の大浦天主堂やグラバー邸に次ぐ建築年次で、東日本周辺において現存する最古の明治初期建築物であると言われています。

しかし、構造面から見ると九州地方の建築物は和小屋であるのに対して、ティボディエの官舎は小屋組みにはトラスを用いるなど西洋の技術を用いて建設されたものですが、随所に日本古来の伝統的な技法も確認されていて、西洋の建築技術が具体的に日本に導入される経過が明らかに示されていると考えられます。同時に横須賀製鉄所の建築技術が明治以降の日本の建築技術に大きな影響を与えたことが伺えるものです。こうした貴重な歴史遺産については一日も早く復元し保存管理されることが期待されます。

(元横須賀市助役 井上吉隆)