白秋も晶子も知らぬ敗戦の
のちを生きたり浪漫派として
島田修二
第6歌集『春秋帖』(1987年)所収。北原「白秋」は明治期の浪漫主義の牙城「明星」に作品を発表し名を馳せました。島田の師・宮柊二は白秋の弟子なので、島田は白秋の孫弟子にあたります。与謝野「晶子」も「明星」で活躍した浪漫派歌人。「白秋も晶子も」戦中の1942年に死去しました。1947年に「白秋」が始めた多磨短歌会に入会し作歌活動を始めた島田の、両巨星亡きあとの戦後浪漫派として生きてきたという自負の歌といえるでしょう。
(洗足学園中学高校教諭 中島正二)