横須賀リサーチパーク(YRP)の建設は、昭和48年に当時の電信電話公社が建設した研究所(以下武山通研と称する)に隣接して、土地所有者の京浜急行株式会社から国の制度を利用して開発したいとの事前相談がありました。面積約60ヘクタールにおよぶ開発なので、単なる住宅地開発ではなく他の都市機能を加えることが出来ないかと考えました。
武山通研には仕事の関係で度々訪問していましたが、武山通研の床面積は約10万平方メートルで、研究内容の複雑多様化には対応出来ない状況にあり、同規模の研究施設を建設できないかとの相談がありました。しかし、通研の敷地内では土地利用上の法規制により建設が不可能であることが判明しました。
武山通研の研究内容を伺う中で、全国に先駆けて三鷹市で実施したキャプテンシステムの設計から、その運営管理までを実施しており、高度情報化も産業界や行政のみでなく市民生活の中にも深く入り込んでくるのではないかと考えました。そうしたことから京浜急行の開発について研究会を立ち上げ、京浜急行、NTT、造成事業担当者を中心に市もアドバイザーとして参加し、1年余の検討結果を1986年7月に「横須賀インテリジェントシティ計画」として発表し、大きく新聞報道がされました。
この計画に郵政省が関心を示し、横須賀市に対して、1)この計画は企業の計画なのか、2)市としてはどのように考えているのか、3)市の計画への位置づけは考えているのか、との照会があり、市としては検討会にも参加しており、高度情報化は大きな時代潮流で総合計画の中には位置づけ、市として実施可能なものは実施計画の中に明記して,他の都市に先駆けて高度情報化都市を目指す覚悟である旨を伝えました。郵政省でこうした市の取り組みを受け両者で協議し、民間活力導入の郵政版第1号に向けて協力しましょうとの内定を頂きました。そして、こうしたプロジェクトの為には開発戦略をきちんと立てることが将来の横須賀市における先端技術産業を位置づけることになるので、多面的なメンバーで協議会を設置し検討すべきとの提案があり、検討会が設置され慎重審議のうえ「横須賀リサーチパーク構想(YRP)」が出来上がりました。
この構想のもとに土地利用上の法的手続きが進められ、事業に着手しYRPへの企業誘致に入りました。郵政省、京浜急行、NTT、市と一体となっての活動により、郵政省の小金井に所在する「総合通信研究所」の無線部門の進出が決定し、民間企業ではNTTドコモの研究所誘致に成功しました。こうした中心的な研究所の進出を契機に多くの機関が独立研究所、共同施設への進出など誘致活動の成果が上がり、現在のYRPへと成長することになりました。
(元横須賀市助役 井上吉隆)