横須賀市内の各所には「フランスパン」を名物に売るお店が数多くあります。
これは幕末期にフランスの協力により横須賀製鉄所が建設されたことが大きな原因と考えられます。そして、戦前から海外に勤務することが多かった旧軍人が、横須賀に数多く居住していたことも関係があると思われます。
横須賀製鉄所における黌舎の卒業生でフランス料理に才能を発揮した珍しい人物も見受けられます。その人は、櫻井省三で1875年(明治8年)に黌舎4期生として優秀な成績で卒業し、辰巳一・山口辰弥など7名とともにフランス、シェルブール海軍造船學校に留学し、造船技師として最先端のエリートとなりました。
2015年10月13日から横須賀市立自然・人文博物館では横須賀製鉄所(造船所)創設150周年を記念して「すべては製鉄所から始まった~Made in Japanの原点」をテーマに展示会が開催されました。その展示会の解説書によれば、櫻井省三は「造船・教育・料理研究で活躍」のタイトルで「黌舎とシェルブールの造船學校を卒業後、横須賀海軍技師、東京帝国大学教授を歴任、工学博士、フランス料理の研究を進めて本を出版」と記されています。そして、「櫻井省三のおもてなしフランス料理フルコース」のメニューや、桜井省三の子孫伝来「牛タンのヴィッシー風シチュー」のレシピまでもが展示されていました。
更に解説書には「櫻井省三は、子供の頃、母親の料理を手伝っていたといわれています。シェルブールの造船學校への留学中にはフランス人に料理のつくり方を聞くなどしながら料理の研究をすすめました。櫻井省三は、フランス本国で本場仕込みの料理を学んだ最初期の人物の一人と考えられます。」と記しています。そして、彼は自宅においても料理教室を開いたともいわれています。
横須賀製鉄所は、この様に櫻井省三のように造船技師としての才能のみならず、料理の分野においても傑出した才能を発揮した人材を輩出しています。
また、造船界のエリート辰巳一のお孫さんに当たる辰巳芳子さんは、著名な料理研究家であり、横須賀製鉄所は食文化についてもフランスから導入する役割を果たしたと言ってもよいでしょう。
(元横須賀市助役 井上吉隆)