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横須賀製鉄所物語

お雇い外国人①フロラン

横須賀製鉄所物語<53>

ルイ・フェリックス・フロランは、『横須賀造船史』慶応2年紀10月18日の記述によりますと、ヴェルニー以下と来日し建築課長として月給400ドル慶応元年7月23日採用と記されています。そして、来日前にはパリ燈台局の建築技手として勤務していましたが、ヴェルニーの片腕としてその職務代理を務める重要な地位が与えられました。彼は横須賀製鉄所の建設だけではなく、観音埼燈台の建設にも当たりました。

日本における洋式灯台の建設は、長州藩が1863年(文久3年)イギリス・オランダ・アメリカ・フランス4か国との戦いに敗れ「改税条約(江戸条約)」が結ばれ、4か国の強い要請により、全国に8か所「観音崎(横須賀市)・野島崎(南房総市)・樫野崎(和歌山県串本町)・神子元島(下田市)・剣崎(三浦市)・伊王島(長崎市)・佐多岬(鹿児島市)・潮岬(和歌山県串本町)の洋式灯台を建設することになりました。

しかし、横須賀製鉄所ではそれ以前から海上安全のため、灯台建設の必要性を上申しており『横須賀造船史』明治元年紀によりますと、「八月晦日うゑるにーハ製鐵所吏員ヲシテ管轄廰ニ請求セシメテ曰ハク舊幕府ハ夙ニ船舶夜航ノ安全ヲ計リテ相州観音崎ニ燈臺ヲ築造セント欲シ慶応元年うゑるにーニ命ジテ燈臺用機械ノ製造ヲ佛国ニ嘱托シタル其機械ハ竣成シテ横須賀ニ回送シ來レリ新政府ノ所見モ亦蓋シ燈臺ノ必要ナルヲ認メラル、ナラン果シテ然ラバ請フ舊約ヲ履行シテ其築造ニ着手セラレヨト判事乃チ舊幕府ヨリうゑるにーニ付與シタル燈臺築造ノ命令書ヲ檢シテ之ヲ裁可シ直チニ製鐵所佛人ヲ観音崎ニ派遣シテ其工事ヲ起サシム」と記されていて、フロランは観音崎派遣となりました。

そして、フロランは観音埼燈台の完成後には、「改税条約」による野島埼灯台のほか、条約外においても東京湾を中心として必要な城ケ島灯台・品川燈台の建設にも従事しました。

こうした近代国家として貿易の自由化に伴う安全性の確保から必要とされる灯台が、お雇い外国人の手により建設されました。

観音埼燈台が建設されたことにより、浦賀の川間に所在していた「燈明堂」が廃止されました。「燈明堂」は現在復元されたので、これを見ることにより時代の移り変わりを偲ぶことが出来ます。

(元横須賀市助役 井上吉隆)