遣米視察団一行のポーハタン号は、アメリカ東海岸を南下しパナマに到着しました。パナマの船着き場に上陸するとそこには日本の武士の一行が来たのを聞きつけて、パナマ在勤のイギリスなど各国の領事とその家族、さらには多くの見物人が詰めかけて、整理のための多くの兵士が出動してこれに当たったそうです。
一行は、ワシントンに行くのにはアメリカ東海岸に向かわなければなりませんが、当時パナマ運河は出来ていませんでした。(パナマ運河の完成はこの時から54年後の1914年でした)そこで汽車により横断することになり、停車場に向かうと8両連結の列車が停車していました。一行は蒸気車(汽車)を見るのも乗車するのも今回が初めてなので、線路や客車・機関車を丹念に見て回ったようです。乗車して蒸気が出て発車すると激しい音がして走り出しました。窓からの景色も早い速度で過ぎて行き、ただただあっけにとられるのみでした。この体験こそが、西洋文明の最新の技術を胸に刻み込む素晴らしい体験になったと思います。
汽車での移動は、パナマから約60キロメートルのアスピンウォールで、そこにはアメリカ海軍の出迎えの軍艦ロアーク号が待機していて、アメリカ東海岸を北上します。
そして、使節団はニューヨークに上陸し、その後ワシントンに向かう予定でしたが、アメリカ大統領の要請でワシントンに直行することになりました。順調な航海で閏3月24日にワシントンに到着し、波止場では軍楽隊の演奏、祝砲17発に迎えられました。ワシントンの上陸地点である海軍造船所においても軍楽隊の演奏・祝砲17発に迎えられました。造船所内の狭い敷地には4~5,000人の見物人が押し寄せ、警官が交通整理に大わらわであったと言われ、その中で新聞記者の取材や写真撮影が行われ大変であったと言われています。
そして、正使一行は3月27日には、ルウィス・カス国務長官を訪問し、翌日の大統領謁見の打ち合わせをしました。謁見当日は海兵隊・海軍軍楽隊が一行のホテルまで行進してきて、正使一行を馬車に乗せホワイトハウスまで行進します。ホテル周辺だけでなく近くの家の窓や屋根の上まで見物人で埋め尽くされました、その数は数万人とも言われています。
ホワイトハウスでは、正使一行は、ブキャナン大統領に謁見し日米修好通商条約の批准書交換のため訪問したこと、そして、訪米のためポーハタン号を派遣したことのお礼を述べます。大統領は日本と最初の修好通商条約を結ぶことに大変満足の気持ちを表したとのことです。更に4月3日には、正使と国務長官との間で批准書の交換が行われ、遣米使節団は無事大役を果たすことが出来ました。
(元横須賀市助役 井上吉隆)