遣米視察団の正使一行がアメリカに行くにあたり、徳川幕府は将軍徳川家茂からアメリカ合衆国大統領ブキャナン宛に親書を託していました。そして、その親書がアメリカには残されています。
小栗上野介顕彰会が発行する『たつなみ』第44号によりますと、万延元年遣米使節子孫の会の宮原万里子さん(村垣淡路守玄孫)が「ハワイ史跡調査の旅」の中で「昨年11月、私ども万延元年遣米使節子孫の会は、遣米使節が持参していった徳川家茂からブキャナン大統領宛て親書(信任状)の原本をワシントンの米国国立公文書館(NARA)より特別許可をいただき、閲覧調査する機会を頂きました」として、親書の形状については、「金泥の料紙に美しい文字で書かれ、徳川幕府の外交印である『経文緯武』が押された、縦46センチ横182センチの立派な書状は、昭和29年以来日本人として初めて私共が閲覧したわけですが、今後の閲覧許可の予定はないそうです」とのことで大変貴重な経験をされたとのことでした。そして、親書の内容について現代語訳を紹介しています。
将軍徳川家茂からブキャナン大統領宛親書(信任状)
謹んでアメリカ合衆国大統領のお手元に手紙を以て申し上げます。
過日、我が国の下田奉行井上清直と目付(監査役)岩瀬忠震らに命じて、貴国の全権使節タウンゼント・ハリスと協議し、修好を結び、貿易の条約書を江戸の閣老に届けさせました。
今また、特別に首席外国奉行新見正興と次席奉行村垣範正、ならびに目付(監査役)小栗忠順を代表として、条約批准書を持参し、ワシントンの国務長官へ届けさせます。
この使節派遣を決定したことは、貴国の深く懇切なお心のゆえと思います。以後、両国の友好関係はいよいよ増してゆきましょうし、その心は世を経ても変わらないでしょう。
今回、この三人の代表者はよく選抜した人材ですから、日米両国お互いに真心をもって事務を諮られたく思います。
良い未来を望み、互いの親交を厚くしたく思い、また、貴国が平和に発展されることを念願しております。
安政7年正月16日 源 家茂
このように当時の幕府外国奉行は、外交に対しての十分な知識と経験をもって対応しました、それに引き換え明治新政府の条約改正に向けて、岩倉使節団の外交に対しての稚拙さが目立ちます。
(元横須賀市助役 井上吉隆)
※小栗上野介顕彰会…昭和7年に倉田・烏渕両村民の協力で顕彰慰霊碑(水沼河原)を建立したことを契機に、「小栗上野介史蹟保存会」を結成、以来旧倉渕村を挙げて小栗公の顕彰を進める体制で「小栗上野介顕彰会」と名称を変え、現在に至っている。