遣米使節団正使一行の最後の訪問地はニューヨーク市でした。ここでの歓迎ぶりは他の都市を遙かに上回るものでした。正使一行を乗せた軍艦アライダ号がマンハッタンの南部にあるバッテリーパークに錨を降ろすと、海岸には多数の見物人が日本使節団を一目見ようと待ち受けていました。アメリカ側でも、この人出を懸念して日本使節団に万一のことがないように、警護の兵士約6,400人以上を配置し、ワシントンでの倍の規模で警備に当たる大部隊で対応しました。
正使一行は、迎えの馬車20両ほどに分乗して、繁華街ブロードウェイを進みます。その行列も進んでは止まり、進んでは止まりと街路で見守る市民が見物しやすいように配慮されていました。また、沿道の家々の窓や屋根の上まで人、人、人で埋め尽くされていました。この正使一行のブロードウェイでの歓迎ぶりは地元報道機関でも大きく取り上げられました。正使一行がホテルに入ったのは、日が暮れようとした頃でした。
ニューヨークで宿泊するホテルは、ワシントンで滞在したものより規模も大きく、ホテル内には劇場もあり毎晩興行が行われて、大勢の観客が出入りしていました。ホテルにはボストン市長やナイアガラの代表などが訪問し、日本使節団一行をお招きしたいと申し出ました。正使一行がニューヨークに滞在しているのは、帰路に乗船する軍艦ナイアガラ号の修理を待つためであり、折角のお招きだけれども、他の都市への訪問は出来かねますと申し出を断りました。また、ニューヨーク駐在のフランス領事と書記官が訪れ、フランスへも日本使節を差し向けてほしいと告げました。このように遣米使節団の人気は大変なものでした。
その後、この遣米使節団一行に対しての歓迎会がニューヨークでも実施されることになりました。歓迎会の会場は、使節団の宿泊するホテルで行われることになり、ホテル、ホテルの劇場、ホテルの中庭が利用され大舞踏会が開催されました。会場には、5組の楽団が配置され、招待客は約7,500人、食事は1万人分が用意されました。そして、入場のための入場券1人10ドルを準備し、すべて完売しました。この日シャンパンだけでも9,000本(1万8,000ドル)が消費され、宴会費用は12万5,000ドル(数億円)を要した盛大なパーテーであったと伝えられています。(以下次号掲載)
(元横須賀市助役 井上吉隆)