横須賀製鉄所は、一棟の建物だったのでしょうか。
徳川幕府によりフランスから造船技師ヴェルニーを招聘し、東洋における最大規模の近代工場が建設され、日本の産業革命に大きな役割を果たしました。
横須賀製鉄所は、一棟の工場ではなく多くの工場が立地していました。明治維新により工場は明治新政府に引き継がれ、現在は在日日米海軍基地として使用されています。その施設を望む位置にある公園には、横須賀製鉄所の建設に功績のあった小栗上野介とヴェルニーの銅像が設置され、ヴェルニーの片腕となり活躍した副首長のティボディエ邸が復元されています。また、公園内の記念館にはヴェルニーにより輸入された2基のスチームハンマーが展示され一般公開されています。その内の3トンスチームハンマーには、1997年(平成9年)まで在日米海軍基地艦船修理廠(SRF)で使用されていたものです。
ある日、基地内でアームストロング司令官から「最後まで使用されていたスチームハンマーは老朽化が著しいので、米本国の許可を得てスクラップにするつもりだ」という話を聞きました。司令官に対して「古い産業機械は由緒あるもので、歴史的にも保存する必要があると思われるので、スクラップにはしないでほしい」と伝えると、司令官は了承され、米軍自らの手で解体し保管して、ヴェルニー記念館の開館に併せて一般公開する約束まで採り付けることができました。
では、このスチームハンマーは横須賀製鉄所の何処で使用されていたのでしょうか。
「横須賀開国史研究会」が復刻した横須賀土産「横須賀造船所散歩」によりますと山側に位置した「錬鉄所(れんてつじょ)」と呼ばれる工場で使用されていました。その説明文の中に「厚い鉄板も豆腐のように簡単に切ってしまうスチームハンマーは、造船所見学の見所の一つのでした。錬鉄所には反射炉も設置されていました」と記されています。
(元横須賀市助役 井上吉隆)