2001年7月21日に退任の挨拶のため、横須賀基地の司令官マイケル・L・セイファート氏に面会することにしました。当日は開国花火大会が開催され市からの要請で基地の一部が開放され、市民も基地内で花火を鑑賞することができました。司令官からは花火大会が始まる前に来てほしいということで、開始の30分ほど前に基地に入り、面会することができました。
司令官からは、「基地に対しての協力と市民との交流に大変お世話になりました」と紙袋を渡されました。中に入っていたのは感謝の盾でした。私は思わずこれまで考えてくれていたのかと、喜んで戴きました。そして、司令官からは、「アメリカが世界に所在する基地の中から4カ所の優良基地を表彰することになり、横須賀基地がその中に選ばれ表彰を受けることになりました。そこで、この建物の裏の小高い丘の上に古い倉庫があるので、それを取り除き記念碑を製作つもりです」と話されました。
私は以前に軍需部に勤務したことのある先輩から、司令官の言われた位置に展示施設があり、大隈重信の書簡などが展示されていたという話を聞いていたので、司令官に「古い建物には歴史的に由緒のものがあるかもしれないので調査をさせてほしい」とお願いしました。すると、即座に「どうぞ調査をして下さい」ということで、その旨を教育委員会に伝えて調査することになりました。
その結果、横須賀製鉄所副首長ティボディエの官舎であることが判明し、さらに専門家による詳細な調査が実施されました。そのため、かなりの日数を要したために記念碑建設のアメリカ本国の予算支出の期限が切れてしまい、2001年には記念碑の建設ができず、司令官には大変御迷惑をおかけしました。それは、私は退職した後のことであり、司令官にお目にかかり一言お詫びを申し上げたかったと感じました。
その後、ティボディエ邸は解体され部材の多くを市が保管し、復元に当たってその一部が利用されました。現在は、ヴェルニー公園内に復元され、「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」として市民に公開され、ルートミュージアムの拠点としての役割を担っています。
専門家の話によりますと、この明治初期の建物は、西の長崎グラバー邸に匹敵するもので、工法としてグラバー邸は日本人の設計によるもの、ティボディエ邸はフランス人によるものと、日仏の建築様式の比較には大変参考になるとのことです。
このティボディエ邸の復元も、基地司令官に退任の挨拶に行かなければ、保存できなかったのではないかと、今改めて考えさせられます。
(元横須賀市助役 井上吉隆)