朝テレビをつけると画面には神戸のまちが炎と煙に覆われていました。報道によると兵庫県南部にマグニチュード7.3、最大震度7の大地震が発生したとのことでした。これは1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神淡路大震災です。
こうした大規模な災害では該当する地方公共団体だけでは対応が不可能と考えられました。直ぐに、N消防局長(当時)に電話して神戸市への応援に行けるよう指示すると、既に国の消防庁からの指示を待っているとのことでした。朝食もとらずに出勤すると、N消防局長から連絡が入り消防庁からの要請で救援隊を派遣したとのことでした。現地からの工作車による救援要請で、倒壊した瓦礫の中からの人命救助を期待しているとのことでした。三浦半島の中で工作車を所有していない市、町では消防士のみの応援をしたいので同行をさせてほしいとの要請があり、横須賀市の工作車に同乗して神戸市に向かいました。(その後、他の市町でも工作車を配備しています)一方、神戸市では倒壊家屋などからの人命救助も最優先課題でしたが、地震に伴い発生した火災が拡大して、六甲山方向へと延焼していたので、「炎を六甲山に上らせるな」と必死の消火活動をしていました。そして、神戸市側から消防車による応援がほしいとの要請がありました。そこで直ちに、消防車の部隊を派遣しました。この大震災で被災状況の確認と情報伝達について多くのことを学びました。
そして、次に問題となったのは消火のための消防水利でした。火災の拡大により貯水槽の水が底をつきましたが、幸い火の勢いも収りつつありました。それもつかの間、神戸市の救援活動も一段落すると、隣接する芦屋市からの応援要請もあり、芦屋市への救援活動を行うことにしました。横須賀市の消防職員も現地で大活躍でした。後日芦屋市の職員の方が見えられ、救援活動について感謝を述べられ、その律儀さになんとも言いようのない感動を覚えました。こうした大災害をどう対応するか、多くのことを学びました。
阪神淡路大震災では、その後の復興支援の為に多くの職員を派遣しました。神戸市には消防だけではなく、医療、水道、下水道、危険建物の判定のチームや社会福祉協議会からも応援職員を派遣しているので、こうした職員の激励と被災地の状況を視察するため、2015年(平成27年)2月8日に現地に向かうことになりました。
沢田市長から海上自衛隊阪神基地隊に感謝と激励の書面を預かったので、高速道路を降り海に向け進路をとり阪神基地隊を訪問しました。基地隊司令室にはK呉地方総監(当時)が入室していて、24時間体制で災害対応の指揮に当たられていました。神戸市では、地震により水道施設に大きな被害を受け全市が断水していました。そこで、海上自衛隊が大阪から自衛艦により一日600トンの飲料水を運搬して各避難所へと供給していたのです。寒い1月の厳冬の海中に隊員は入り仮桟橋を製作しました。この仮桟橋が完成したことにより避難所に飲料水を供給することが出来るようになりました。その後、神戸本港が使用可能になり、水道施設の復旧も進み神戸市の断水も解消することとなりました。
(元横須賀市助役 井上吉隆)