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よこすか文学館

石田波郷の句碑

よこすか文学館<103>

三浦半島に点在する文学碑や史的記念碑を実見し、作者やその作品の成立事情、碑の現状などについてご紹介します。

<石田波郷句碑(武山<一騎塚>)>俳句

緑さす 細田掻きをり 一騎塚

石田波郷(1913-1969)は、昭和時代の俳人で、現在の愛媛県松山市に生まれ。松山中学在学中より本格的に作句を開始します。ちなみに松山中学(現・松山東高校)は、正岡子規、高浜虚子ら、俳句史に名を残す俳人が学んだ学校で、夏目漱石が教鞭を執ったことでも知られています。

1933年、水原秋桜子主宰の「馬酔木」の同人となり、その後、俳句結社「鶴」を主宰。その句風は中村草田男、加藤楸邨とともに、「人間探求派」と呼ばれました。

碑の句は、1956年5月、横須賀を訪れた時の詠句。「緑さす」は夏の季語で新緑のこと。「細田」は珍しい表現で、こじんまりとした田のことでしょう。「掻きをり」は「搔いている」という意味ですが、ここでは、田植え前に土を掘り返し、田面を掻きならして平らにする「田掻き」のことで、これも夏の季語です。

(洗足学園中学高等学校教諭 中島正二)