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吉倉公園

或(ある)曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。
(中略)
するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとにのばして勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑(みかん)が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思はず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆(いくか)の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
(芥川龍之介「蜜柑」より抜粋)

小説「蜜柑」は、芥川龍之介が横須賀海軍機関学校の英語の教官時代、下宿(鎌倉)に帰る途中の横須賀線の汽車の中で「私が出遭った事」を描いたとされています。
JR横須賀駅から東京方面に向う最初のトンネルを通過したところにある吉倉公園には、小説「蜜柑」の一節を刻んだ文学碑があります。弟たちが姉を見送ったとされる踏切は、さらにトンネルをひとつ通過した、当時踏切番がいた「田ノ浦の踏切」ではないかと言われています。