「a blue rose」には、「不可能、ありえない相談」という意味があります。人々を魅了してきた薔薇は、交配による品種改良によって、25,000種以上が作られてきましたが、薔薇自体にデルフィニジンという青系色素がないため、青い薔薇は存在せず、「不可能」の代名詞とされてきました。しかし、長年の研究と最先端のバイオテクノロジーによって、青い花びらを持つ薔薇が誕生しました。
江戸時代にペリーが来航して以降、開国を余儀なくされた日本国内では、にわかに海防論が巻き起こり、江戸幕府は、先進国の技術を積極的に取り入れるようになりました。海防の要となる船を、手っ取り早く諸外国から購入するか、または、造船所を建設しそこで造船するかで、幕府内で議論がされる中、たった一人、小栗上野介忠順は、洋式造船所の建設を主張して譲りませんでした。小栗が思い描いていたのは、船だけを造る造船所ではなく、日本の近代化に必要なものすべてを創ることができる製鉄所でした。
1865年、徳川幕府の最後の威信をかけて、フランス人の技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーを雇い、建設が始まりました。その後、明治政府に引き継がれ、1871年、日本の近代工業のさきがけとなる横須賀製鉄所が誕生しました。
小栗とヴェルニーの2人の功績を称えたヴェルニー公園の薔薇が見ごろを迎えています。ヴェルニー・小栗祭は、秋の薔薇が見ごろを迎える11月に開催されます。